もう少しで逝けたのに。
地脈の龍よ何故、わたしに覚醒を促すのですか?
もう少しで閉じられたのに。
道祖神よ何故、強い者の味方に付かないのですか?
もう少しの間言い訳できたのに。
わたしには生きたいという好奇心がほぼ無い。この胸にある好奇心は、新しいことを知りたいという小さな好奇心だけ。
生きて欲しいと想われる数だけ毎日の寿命を数秒、数時間、数字づつ伸ばしてきた。
肉体を中心に精神の健康を得る時代は当たり前となり、精神を中心に肉体の健康を得る時代に変わっている。
この時代の流れに、いったいどれだけの人々がついて来るかわからない。
人々は信じてくれるだろうか。
もう特殊な運動法よりも、濃厚な栄養食品よりも、ストイックな健康習慣は幸せに意味を成さない。
どうせ生まれ変わったしまった、どうせ生きづけてしまった。なら、安らかに悔いなく死ぬためにと生き続けた結果、珍しもの好きたちがわたしにとっては無意味な期待を注ぎ、光の体に命を注ぐ。
この世で悔いなく安らかに死ねるということは、健康に生きることよりも厳しいミッションであることに途中で気がつく。
なら、何もかも忘れて仕舞えるくらい、勝手に周りが幸せになってしまう地球を巡ってしまえるような夜で、うまく眠れられることを望んだ。
それがさらに、美しく生きることよりも、安らかに死ぬことよりも、この宇宙でうまく眠れる方が難しいだなんて。いったい誰が気づくのだろう。
女神よ、わたしがここにいる理由は愛でもなんでもない。愛を注ぐあなたの姿に好奇心があるから。
龍よ、わたしがあなたの声に気づきたのは才能ですらない。面白い声に耳ざとかっただけのこと。
道祖神達よ、わたしがあなたを応援するのは当たり前。だって同じ道を歩きやすいようにしたいと生きているのだから。
私達の少なくは気づいている、精神から成せる現実となる動きに、世界が片足の指先入っていることを。
私達以外の多くは気づかないふりをする、肉体から成せる現実が、世界との繋がりが薄れていくことに。
心を亡き者はバレやすくなる。
心を在りき者は生きやすくなっている、
生命があり、心を開き、言い訳するより愛をつぶやく者は世界から求められ続ける。
こんな世界に、あなたは何者になりたい?
わたしはどんなに偉大な存在から期待されようとも、過去の平和も地獄も作らない。
生きるためにたくさんの恩徳を受けたとしても、恩返しだけで人生を終えたくないし、愛を唱えるだけのために生きる目的にしたくない。
わたしは、好奇心を抱きながら息をして、うまく眠れる者になりたい。
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