2025年05月19日

何もできないことを認めると。

面白いことに、
あなたは私の前では嬉しそうな顔を
あまりしたことがありませんね。


誰かの前で、
いつも楽しそうに歌うのに、
あんなに親しげに語るのに、
それほど嬉しくなさそうに私の前に来る。

そのくせ、いつも、私の隣に来たがる。

不思議なことに、
私はあなたの前にすると喜ばしいと思うのです。

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私の前で、
それほど話題があるわけでもないのに、
あんなに機嫌がいいわけでもないのに、
いつも不安を抱えて私の前に来る。

確かに、
不安を抱えたあなたも可愛いと言ったけれども。
それは、幸せが隣にあったからであって。

しいていうなら、あの時の言葉は言葉のアヤで。

幸せと不安が隣り合わせに行ったり来たりするから、
あなたはとびきり魅力的で美しいのだということを、
カッコつけて言えずにいた。

あの時、私は何もできなかった。
何も持っていなかった。

肩書きすら捨てた私ができたことは、
「何をできない」を魂の底辺から認めることくらいだった。

私の前で笑顔でいてほしい、
などということすら言えないことを認めた。

あなたをバックアップする応援者を
できるだけ集められたのはそういう理由だった。

あなたに興味がある人たちを集めることに
特化できたのはそういう理由だ。

あなたはこう思っているのだろうか?

不安を抱えて私の前に来るだけで、
どうして不安がなくなるのだろうと。

それはね、あなたが、私と一緒に、
今は何もできない自分を認められるからなんだと思う。

悩み事に諦めがいい見切りをつけると、
なぜか自然と明日へ目が向いてしまう。

人って、どうやらそういうものみたい。

来るたびに、
応援者にお礼ができないと嘆かないでほしい。

去るたびに、
支援者に何もできなかったと呟かなくていい。

今は何もできないと心から認めることがきなければ、
私の隣に来たらいい。

また、自然と成功してしまうのだから。

どうやら人は、この流れを幸せと想うものみたい。


posted by ユーリー at 15:11 | 命の解放